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2005年7月31日 (日曜日)

ある夏の土曜の午後

それは随分と昔の、夏の日の土曜の午後のことです。

音楽室にはグランドピアノが置いてあります。期末テストが始まっているのに生徒がポツリポツリと現れて、普段の吹奏楽部の練習のときと同じように机を向かい合わせにしてお弁当を食べたり、ピアノをスタンドバーのカウンターのようにして肘を着いて昔の合宿のアルバム写真を見たり、お菓子やおにぎりをつまんだりしています。

私はここの常連で、吹奏楽団の一員です。土曜の午後には、生徒たちの練習に混じって音を出している仲間なのですが、期末テストが始まっていて練習が休み中でも、いつものように音楽室に来て、ピアノの前に座ったり、お菓子をちょっと失敬したり、生徒たちの他愛無い話に首を突っ込んで楽しんでいます。

テスト期間には練習がないのを知っていながらこの部屋にやってくる子たち。「おい、試験はどうなんや」と尋ねると、「まあまあかな」とどうでもいい返事をしてくれる。「帰って勉強せんのか?」と聞くと「そうなんよ、お母さんがウルサイの。もう3年生やから、練習に行くなって言うのん」とやや愚痴り気味です。

グランドピアノの前に腰掛けて、彼女は久石譲の譜面を置いて弾き始めます。ひとつの音楽として聴かせてもらうと技術的にも未熟な演奏ではあるものの、演奏中の顔は最高にリラックスしていて、にこやかさと真剣な眼差しが交互に入れ替わり、音楽のテンポよく、まるで生き物のように弾んでいます。何よりも彼女の顔が大人びて美人に見える・・・・。

「家ではピアノ、弾かさせてもらえぇへんのよ、勉強しろって言うの」
そういいながら「天空の城ラピュタ」の譜面集を閉じて、近頃習った音楽などを弾き始める。たいしたもので暗譜しているらしく、順番に思い出しながら弾いてくれます。

「モーツアルトやベートーベンを聴かせてよ」と私がねだると、それも思い出しながら弾いてくれます。小学校になったころから習っているというだけあって、もしかしたら音楽の先生(声楽が専門だし)より上手かも知れない。

教室には数人の子どもたちがいます。弁当を食べ終わっておしゃべりを続ける子。楽器を出して吹き始める子。私のリクエストにこたえてピアノを弾いてくれる子。女の子が多くなりました。昔の吹奏楽部は男子がもっと多かったのに。

その部屋には生の音が溢れています。生のブラスの音ってのは録音では味わえない素晴らしさがあります。夏休み前ですので、1年生がまだまだ決して上手じゃないのですけど、演奏する楽しさがちょうどわかり始めるころで、みんなは音楽室に息抜きにやって来るんです。自分たちで生の音を出し合って心の緊張をときほぐして帰ってゆく。

この音楽室にはもうひとつ素敵な所がありました。窓にもたれると街の向こうに海が見えるのです。そして大きな湾の出口あたりをゆっくりと進んで行く貨物船の姿なども見えるのです。彼女たちの演奏を聴きながら、ぼんやりとしていると、ブラスの響きが身体の中に溜まった垢のようなものをすべて振るい落としてくれました。

いや、あまりにも暑い日が続いたので、昔の夏をちょっと思い出しただけです。夏休みの練習はお盆まで和気藹々とではあるものの、びっしりと続きます。そしてお盆があけて合宿。今度の休みには、久し振りに音楽室を訪ねてみようかな、なんて思っています。
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銀のマドラー 7月末日号

2005年7月26日 (火曜日)

試験の季節か。 (遠い目・・・・)

大学時代、こんなことがありました。(あちらこちらで紹介してますので重複ゴメン)

■ 久し振りに大学に出かけたら掲示板が綺麗になってるので、通りがかりの友だちにそのことを尋ねたら、
「おお!久し振り。試験はもう終わったぞ。」
と言われたことがあったなー。

■ 試験が全然できなくて真っ白(記述式)。そこで次のように書きました。
「問題は解けませんが私の勉強してきたことを書きますのでお願いします。(A4にいっぱい書きました)
就職が決まってます。単位ください。」

◆ 「お父さん、魘されとったで。なにか悪い夢でも見とったの?」
と、娘に揺り起こされることがあります。
いまだに悪夢を見ます。

【教訓】 : 試験も大事ですが、普段からしっかり勉強しなさい。

2005年7月24日 (日曜日)

雲と空気について

きょうは、ホッとひと息です。

昨日(23日)講座をひとつ終えて、ひと息ついています。


テキストが10ページを越えてしまったことや、子どもたちには難しい話になってしまって申し訳なかったのですが、僕のテキストを丸写しして宿題終了にするような手抜き上手な子どももいるだろうな。それもひとつの才能かな。

「何故、雲は白いのですか?」
という質問が出てね。

「真っ赤な夕焼けってのもありますよ。夕焼けを見たら、次の日は晴れになったとか、雨になったとか、きちんとメモして日記を書いてね。」
と話しておきました。

2005年7月21日 (木曜日)

みちのくに別れ告げるや月見草

「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」
その歌を口ずさみながら鄙びた山村道をトコトコと走ってゆく私がいました。数軒ほどが点在する集落と別れを告げ、遥か彼方に幾重にも折り連なる大きな峰を見て、旅が折り返し地点を回っていることを寂しく思いながら街道の国境を越えてゆきます。

1週間以上の旅をすると人恋しくなり、我が家も恋しくなる。その一方で、旅の本髄である好奇心とファイトも絶頂期に向かってゆく。気分は凸凹しながら、ときにはセンチに呟いてウソのない自分を愉しんでいる。

黄色い花が、美しい。

山仕事の爺さんを見つけたのでバイクを止めて
「この花はなんていう名前ですか?」
と尋ねた。
「決まってるべさぁ、月見草だべぇ」
と教えてくれた。

バイクの旅は見掛けより過酷で、焦げつく太陽光線と熱風が身体を襲う。早く峠道を走り抜けてしまいたい一心だが、この黄色い花の名前が気に掛かる。世界のブランド物を知ることや雑学知識を誇ることよりも、今は、この道をゆく自分がこの花の名前を知らないことが何よりも悔しいのだった。

きっと誰もが野山の雑草などを美しいと思わないだろう。しかし、私にとっては重要な花でした。あの山のあの場所で旅の途中で出会った可憐な黄色い花。

ほんとうは・・・・
「大宵待草」(オオマツヨイグサ)というのが正しい名前です。爺さんが教えてくれたのは、みんながそう呼んでいるだけで本物の月見草は別にあります。

■ みちのくに別れ告げるや月見草

2005年7月19日 (火曜日)

蝉時雨

 九州、四国地方から梅雨明けのニュースが届いてきます。このメルマガがみなさまのお手元に届くころには、わが地方も梅雨が明け、ギラギラと太陽が照りつく本格的な夏の日差しが戻っていることでしょう。

  山一つ動かしそうな蝉時雨  (喜多嶋靜子・四日市市)

 「俳句のくに・三重」でこんな入選句を見つけました。大きなスケールで自然を見つめているいい句ですね。

(ちなみに今年は「木の一句」を募集してます。)

*

オススメ本というか、面白そうな本があります。平田剛士著「そしてウンコは空のかなたへ」。愉快なタイトルですね。「買ってはいけない」でお馴染みの金曜日発行です。廃棄物が私たちの手を離れたあと、いったいどのように処理されてゆくのだろうか。そんなことを追いかけています。(詳しくは筆者もこれから読みます。)
 
 熊谷達也著「邂逅の森」と「相剋の森」を読みました。

 前者は、東北地方でマタギとして生きた青年の人生を描きます。自然と共に、熊と共に生きてゆくひとりの青年の物語です。直木賞。後者は、ツキノワグマの棲む森の自然と共に生きている人間たち、そして主人公の女性ライターが、自然とはいったい何なのか、保護をするとは、共生とは何かを考え続けます。ちょっとイデオロギーな話あり、ドラマありといった素晴らしい作品です。

 「邂逅の森」は大正時代、「相剋の森」は現代を舞台に、環境問題や自然保護、狩猟という文化と対峙する様々な人々の視点を踏まえ、私たちが直面する環境保護という素材を取り上げた凄みのある小説です。どちらも小説ですが、自然と調和して生きるには大いなる畏敬がそこにあることを暗示している秀作です。(こちらの2冊は図書コーナーにはありません。)

ナツイチ。まだお決めでない方にオススメします。

7月の編集後記

 九州、四国地方から梅雨明けのニュースが届いてきます。このメルマガがみなさまのお手元に届くころには、わが地方も梅雨が明け、ギラギラと太陽が照りつく本格的な夏の日差しが戻っていることでしょう。

  山一つ動かしそうな蝉時雨  (喜多嶋靜子・四日市市)
 「俳句のくに・三重」でこんな入選句を見つけました。大きなスケールで自然を見つめているいい句ですね。(ちなみに今年は「木の一句」を募集してます。)

 7月になってクマゼミも鳴き始めました。子どもたちの歓声がプールに響き、夏休みに突入して親子で自然の中に飛び出す機会もだんだんと増えてきます。安全に楽しく遊びながら、自然を満喫してくださいね。センターの夏休み講座にもお越しくださいね。

(中略)

 そうですねぇ。オススメ本というか、面白そうな本があります。平田剛士著「そしてウンコは空のかなたへ」。愉快なタイトルですね。「買ってはいけない」でお馴染みの金曜日発行です。廃棄物が私たちの手を離れたあと、いったいどのように処理されてゆくのだろうか。そんなことを追いかけています。(詳しくは筆者もこれから読みます。)
 
 熊谷達也著「邂逅の森」と「相剋の森」を読みました。
 前者は、東北地方でマタギとして生きた青年の人生を描きます。自然と共に、熊と共に生きてゆくひとりの青年の物語です。直木賞。後者は、ツキノワグマの棲む森の自然と共に生きている人間たち、そして主人公の女性ライターが、自然とはいったい何なのか、保護をするとは、共生とは何かを考え続けます。ちょっとイデオロギーな話あり、ドラマありといった素晴らしい作品です。
 「邂逅の森」は大正時代、「相剋の森」は現代を舞台に、環境問題や自然保護、狩猟という文化と対峙する様々な人々の視点を踏まえ、私たちが直面する環境保護という素材を取り上げた凄みのある小説です。どちらも小説ですが、自然と調和して生きるには大いなる畏敬がそこにあることを暗示している秀作です。 (こちらの2冊は図書コーナーにはありません。)

ナツイチ。まだお決めでない方にオススメします。

2005年7月16日 (土曜日)

引き潮に向かって大きく息を吐き

■ 引き潮に向かって大きく息を吐き

■ 海鳥と干潟を焦がす蒸し暑さ

今、朝の6時から7時頃は、ちょうど潮が引いていまして、伊勢湾に流れ込む河口の干潟が見えます。満ち潮のときは昇る太陽の光でさざなみがキラキラと光りますが、干潟が出ているときは、泥と水との境が幾何学模様を作るだけです。

こうして満ち引きを繰り返しながら季節が回ってゆく。海は嫌いだというのが口癖のくせに、じっと遠くを見つめて深呼吸をしている。

蒸し暑い。もうすぐ、梅雨明けでしょうね。

2005年7月12日 (火曜日)

こっそりと見上げるひとりの一夜かな

こっそりと見上げるひとりの一夜(いちや)かな

思わせぶり・・・が好きなので、あいまいなようすを書いてしまう。

句を思いついたのは、ひとりで庭に出てただ夜空を見上げたときという、極めて単純な状況であったのですけど、この空の下で同じように同じところを見上げている人がたくさん居るのだと思うと、なかなかのロマンです。

星も見えない都会の夜空の下であっても構わない。
二人は喧嘩中かもしれない。
でも、心は仲直りをしたいと思っている・・・・。

いえいえ、恋人など傍に居なくても、遠く離れたところに住んでいて、同じ時刻に見上げていればいいか。

「ねえ、五年後、十年後の今月の今夜にまた私たちここで出会えるかしら」・・・・そう言ったオンナを思い出しているのかも知れない。

様々な過去と、---- それは棄てたもの或いは棄て切れない過去であるかもしれないのですが ----、いつものように自分でドラマに仕立ててしまった絶対にありえない夢を、どうしてもひとことにしてオマジナイのようにゴクリと呑み込んでしまいたかったんでしょう。

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私は「一夜」を「いちや」と読みたい。


<ボツ群>
・こっそりと見上げるひとりの夜空かな
・こっそりとひとりで見上げる一夜かな
・こっそりとひとりで見上げる夜空かな

2005年7月 2日 (土曜日)

青ガエルおまえもそこで雨宿り

遠い昔の話。

そのころは銭湯通いで、大学生といえば長い髪に下駄履き。(理系なのに)講義にはちっとも行かず、母校の前の古本屋街を散策して数冊の本を抱きかかえて下宿に帰って来る毎日。風呂屋にも洗濯にも殆ど出かけないで四畳半に寝転がって本を読む。音楽は一日中、ラジオから流れていたなあ。

そんな折、

気まぐれにお風呂屋に行こうと思い銭湯の用意をして部屋を出ようとすると激しい土砂降りになったので傘を持って出直した。きっと暑い日だったんだろうな。エアコンなんて当然無いのが当たり前の時代です。

路地を幾つか過ぎて表通りへ出ると電気屋の軒先で雨宿りをしている一人の女学生を見かけた。一旦はそのまま通り過ぎたものの駆けて戻って「銭湯へ行くのですが途中まで入っていきますか」と傘を差しかけた。

曲がり角をひとつ右に折れ銭湯の前まで来たときには雨は殆どあがりかけ。「もうすぐそこですから」と礼を言い彼女はそそくさと駆けて行った。

車のエアコンが故障中

車のエアコンが故障中。10万と6000キロ。

ベルギーで生産してるフランス車に乗ってますが、ベルギーではエアコンを殆ど使わないそうで、そんな所の車なのでエアコンも酷使だったのかね。修理をするお金がないので団扇を持って乗ることにしました。

学生時代の下宿は、モーレツに暑かったけど、ヘコタレナカッタノハ・・・何故だろう。

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