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2005年5月26日 (木曜日)

空を見上げる(2)

夏休みにおこなう2時間程度の子供向けの講座で、「お天気」と「環境」をテーマにして誰かやってくれないかという話が出た。視線が私に集中したので受け持つことにした。テキストも筋書きもまだ無い。
さて、どんなことを話して子供たちに未来の設計を任せようか。

環境は時々刻々と変化している。それ以上に日々の技術進歩は激しいのだから、私たちの住む環境の悪化抑止など簡単なことであるはずなのに、不安は募るばかりだ。
地球温暖化の危機を叫ぶ際のバックデータの時間軸は50年後100年後という単位です。パソコンの技術革新を表現する時間軸は半年後、1年後というもの。人の命は70年、世代は30年、太陽は24時間。環境が変化して人類に影響を与えているのは、400万年前に人類が地球上に姿を現してからの長い歴史のほんの数十年前からの話だ。そこでの影響度合いは指数関数的に増加するものの、自然現象の数字そのものは決して大きいものではなく、人間の生命という時間軸から考えても現代人が未来の環境に無関心で自分の歓びだけを追及する心理的根拠は十分に理解できる。
しかし、それではいけないのだ、と科学技術をバックに立ち上がろうとする人々もいる。ところがこの科学技術ってものがまた麻薬に似たようなもので、思うように私たちの暮らしにプラスとなるわけでもない。もっと人間としてのなすべきことや哲学的な視野からの刺激が甦って欲しい。

様々なことを議論し、あらゆることに知恵を巡らせて、環境を守ろうと立ち上がる人々が少しずつ増えている。知識人が全世界で環境を叫ぶのであるが、個人のエゴや国家の利益に偏った思惑がチカラを持っていることに、まだまだ無力を感じるときもある。そんな理屈を幾つも並べ立てて、自動車の排出ガスが大気を汚染することや二酸化炭素などが温室効果を生むこと、エネルギーの無駄使いを抑止すること、リサイクルのことを話して、果たしてどれだけの人々の気持ちが動くのだろうか。(いえいえ、効果は大きいのですが)


先日、空を見上げる話を書いたら、予想以上にたくさんのコメントを戴いた。人はひとりになって、例えば深夜に日記をつけるときに、その日に見上げた空の色を思い出すのだろう。仕事を終えて家路を急ぐときに真っ赤な夕焼けが見えたら思わず立ち止まってしまうのだろう。事実、昔、ある夏の夕暮れに西武池袋線・江古田駅で、連絡通路に上がる階段がやけに混雑しており人を掻き分け昇ってみたら奥武蔵の方角に沈まんとする真っ赤な太陽を我も見ようとして立ち止まる人が溢れていた…ということがありました。

自然を大事にしなくてはならないなんて当然だが、タイムマシンに乗って石器時代の生活に逆戻りはできないのだから、大気汚染や環境変化の理屈を話ながらも地団駄が続く。

美しい空を、子供のときに眺めたことがあったからこそ真っ赤な夕焼けに感動できる。あのときにホンモノと出会えたことで、その後の変化に気づくことができる。つまりその「気づき」がすべての始まりであり基本なのだ。
そういうモノに心を動かすだけの純粋さや熱情、子供心を失くさないで…と、自然を見つめる心を育てる教育とはどんなものだ…という方向へと想いは脱線してゆく。どうしたら、もっともっとホンモノを伝えられるのか。

2005年5月24日 (火曜日)

子ツバメよ黄金の海を飛んで来い

軒先に巣を作ったツバメの雛がかえったらしく少し騒々しい。母が来るたびにザワザワするのがわかる。

つい二三日前から麦畑が黄金色になり始めた。広々と続く黄金の麦畑の上をすーいすーいと軽快に空を飛べるようになるまでにはおよそ二十日ほど掛かるそうだ。スズメは枝に巣を作るので生まれてまもなく飛ぼうとするが、軒先に巣を持つツバメは飛べるようになってから…とか。

さあ、早く一人前になって燃えるような大地に飛んで来い!

2005年5月23日 (月曜日)

皺皺の手で差し出す柏餅

「しわしわのてぇでさしだすかしわもち」。てぇというように方言の読みをして欲しいと思いながら、その風景を想い浮かべておりました。

野山を散策していていばらの葉を見つけました。子供のころには、籐で編みあげた籠を持ってよく山に入ったものです。

籠いっぱいにいばらの葉を摘んで帰った夜には、母がつくってくれた柏餅を兄弟で取り合いしたものです。その母の手も皺だらけになってしまいました。今度レシピを聞いておこう。

----

「いばらまんじゅう」、「かしわまんじゅう」というように呼んでいまして、どの葉っぱだからということなしに「かしわまんじゅう」と子供のころは呼んでいました。

柏餅という音の響きがやけに懐かしくなってこんなのを書いてしまいました。

2005年5月21日 (土曜日)

薫風の五月に

┏┏┏┏┏ 三重の環境 平成17年5月16日発行 メルマガ ┏┏┏┏┏

◆ 巻頭言 

 風薫る五月となりました。御在所岳でアカヤシオの花が咲いたという便りが届いて来ると堰を切ったように次々と花の便りが舞い込んできます。

 自然とのふれあいをモチーフにした三重の環境・トップページの投稿写真にも次々とみなさんの力作が寄せられています。どうぞ、ご覧ください。
 また、ライブカメラが設置されている「青山高原」の風景には、初夏の風を受けて力強く回る風力発電施設、そして五月下旬にはたくさんのツツジが咲き誇りる様子がカメラを通して少し伺えると思います。

 種田山頭火が、「けふもいちにち風をあるいてきた」と詠んでいます。青田が日々色濃くなる季節に山頭火は行乞途上にありました。自然のなかを歩き続けている姿がこの句からうかがえます。句集ではこの作品のあとに、「ほうたるこいこいふるさとにきた」とも詠んでいます。
 
このメルマガが届いて一週間もすると県内各地のとっておきの場所でホタルが舞い始めることだろうと思います。


◆ 編集後記

 常一さんと聞けば誰を思い浮かべるでしょうか? 宮本常一さんと西岡常一さんの二人を思い浮かべる方々も多いと思います。今回は、西岡常一さんの語録をお借りします。

 西岡さんは、法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした宮大工棟梁として有名です。

 語録に
 「わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな。」
 「木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません。」
 「あなたが今造っているものが、五十年もたったらその町の文化になる。そういうものを造らなければいけない。」
 「どの木にもそれぞれ癖があり、右や左にねじれようとする。右にねじれた木は、左にねじれたあの木とくみあわせたい。何百年後の木の性質と相談しながら、それぞれの癖を見抜いて使ってあげたい……。」
 (堂塔を建てる際には)「木は山ごと買って、その山の南に生えていた木を南側に使い、北の木は北に使い、西の木は西に、東の木は東に使え」
などがあります。

 環境活動を実践する我々にも共通するずっしりと重い言葉に揺るぎないものを感じます。

 ※ 環境学習情報センターの展示コーナーには環境に関する図書が約2,500冊あり、閲覧できるようになっています。その中に、西岡常一さんの「木に学ぶ」という本があります。

2005年5月18日 (水曜日)

空を見上げる

どうして人は空を見上げるのだろう。

この空を飛べたら・・・どこかに飛んでいってしまえるかもしれない、そこには悲しみなどなく、幸せが溢れているのだろうか。空を飛ぼうなんてそんな悲しい話を夢見ても、誰も幸せを運んできてくれない。

でもね、ちょっと。自由に空を飛べる夢を見るのは、私も自由になりたいよっていう想いの表れなんだから、せめて夢だけでも見せてよ。そう思うことも確かにある。

空を見上げる。雲を見る。雲が流れるのを眺める。
茜の空を見上げる。いつまでもいつまでも見てる。

---

空を見上げるのが私の1日の仕事の始まりです。

空が晴れ渡っていて、上層の空気が淀んでいる日、そう、四日市市の石油コンビナートの煙がなびかない日。海から緩やかな風が吹く日、今日も暑くなるなーっていう日。
そういう日は忙しくなることが多い。

http://www.eco.pref.mie.jp/data-syu/data-sokuhou/index.htm
に光化学スモッグや大気汚染のことを書いてます。(MENU参照)

こんなことを考えながら、PCを眺める日々を送っています。各地で計測した大気の状況を表す幾つも並んだ数字群が手元のPCに逐次送られてきて、綺麗な青空の清清しい日にはこのPCの画面が色鮮やかな警告色と変わってゆく。(「毎時速報値」って箇所の詳細がみえるんです)

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いつか自由に空を飛べるようになるのならば、自分が飛び立つ空くらいは、綺麗なままにしておこうじゃないか。
それは空だけじゃなくて地球にもいえるのですが、ね。

【塵埃秘帖 五月中旬号】

枇杷の実を川のむこうでみつけたよ

櫛田川沿いの道を走っていると川向こうに何やら鮮やかな色の木が見えるではないか。

何だろう。

好奇心が湧く間は探検をしにゆくのが人間としての自然な姿。下流まで行き橋を渡った。

袋を被せた枇杷の木だった。
とても懐かしい気持ちになる。

お母さん、枇杷の実を見つけたよと報告したい。

久居の教育委員会にいる馬場さんが学生時代に「琵琶法師」というグループをやってた。
甘い思い出。

びわ。

※馬場さん。学校に復帰したらしい。

2005年5月16日 (月曜日)

ジャガイモの花が咲いたとメールする

本名は猫柳素庵といい、いっぱしの俳号と自分なりに喜んでいるものの誰も素庵さんとは呼んでくれず猫さんと呼びます。

川柳というと少し軽めに思われがちですがそんなことはありませんでして、俳句と対等にエロティック、或いは蔭で涙を拭きながら、ときには打ち明けてはいけない激しい恋もサラサラと綴れます。

道端の畑に広がるジャガイモが少し前からポツポツと花を咲かせ始めました。恋人と喧嘩して別れたのもこの季節だった。

---
ジャガイモの・・・です

前の投稿「ジャガイモの」と書いたつもりが「の」がない。マヌケならぬノヌケやね。(あとでタイトルは直してしまってます)

時実新子さんの句に「更年期みかんの花が咲いている」というのがある。詳しいことは知りませんが、更年期ってのは自分の気持ちと身体が同期しないでいる時期で、とっても悔しくて地団駄を踏みたいときなんだろうと思う。

甘くて腰から砕けるようなみかんの花が放つ香り。負けるもんか、と思ったんじゃないか。私もジャガイモで真似してみた。

風薫る五月

 風薫る五月となりました。御在所岳でアカヤシオの花が咲いたという便りが届いて来ると堰を切ったように次々と花の便りが舞い込んできます。

 自然とのふれあいをモチーフにした三重の環境・トップページの投稿写真にも次々とみなさんの力作が寄せられています。どうぞ、ご覧ください。
 また、ライブカメラが設置されている「青山高原」の風景には、初夏の風を受けて力強く回る風力発電施設、そして五月下旬にはたくさんのツツジが咲き誇りる様子がカメラを通して少し伺えると思います。

 種田山頭火が、「けふもいちにち風をあるいてきた」と詠んでいます。青田が日々色濃くなる季節に山頭火は行乞途上にありました。自然のなかを歩き続けている姿がこの句からうかがえます。句集ではこの作品のあとに、「ほうたるこいこいふるさとにきた」とも詠んでいます。

*

 常一さんと聞けば誰を思い浮かべるでしょうか? 宮本常一さんと西岡常一さんの二人を思い浮かべる方々も多いと思います。今回は、西岡常一さんの語録をお借りします。

 西岡さんは、法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした宮大工棟梁として有名です。

 語録に
 「わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな。」
 「木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません。」
 「あなたが今造っているものが、五十年もたったらその町の文化になる。そういうものを造らなければいけない。」
 「どの木にもそれぞれ癖があり、右や左にねじれようとする。右にねじれた木は、左にねじれたあの木とくみあわせたい。何百年後の木の性質と相談しながら、それぞれの癖を見抜いて使ってあげたい……。」
 (堂塔を建てる際には)「木は山ごと買って、その山の南に生えていた木を南側に使い、北の木は北に使い、西の木は西に、東の木は東に使え」
などがあります。

 環境活動を実践する我々にも共通するずっしりと重い言葉に揺るぎないものを感じます。

2005年5月14日 (土曜日)

路地ひとつ折れてツツジの匂う軒

斎宮博物館で平家物語の講座が始まります。自転車に乗って葉書を出しに街中をぶらぶらしてみた。20日必着の往復葉書です。いい香りがする路地を曲がって走ってゆくと寄り道したくなります。抽選、当たれ!

チューハイの…は万智さんの真似(パクリ)。俳句じゃないけど、うたえるでしょ。

鈴鹿山麓のお茶畑もいっそう青々と色濃くなってきました。

2005年5月11日 (水曜日)

父の形見

母の日が過ぎてしまった。実家に帰ることなく、電話を入れることも無かった。アイツは出来損ないのバカ息子だ、と母は思っているのだろうか。
生きて暮らしているのだし、恩を忘れたわけでもないのだから許されたい。そういう心は、得てして届かぬものだろうが、何はともあれ、自分の倅が何を考えどんな暮らしをしているかは推測がついているだろう。母とはそういう偉大なものなのだろうと思う。

父は逝ってしまって七年余りになる。しかし、私は十八歳で家を出てしまったこともあり、死んでおらず今でも離れて暮らしているような錯覚が甦ることもある。

東京の下宿に荷物を送ってくれるときに、その箱の片隅に必ず手紙が添えてあった。それは鉛筆書きであることが多く、発送の際に思いつきでイソイソと書いたものだろう。

「若いうちは勉強をしておきなさい」「金の心配はしなくてよろしい」などということが記されていた。日常で些か追い込まれて一切の過去を棄て去る のだという暴挙を思いついたのが発端で、実は、その便箋を数年前に始末してしまった。今となっては仕方がなく後悔先に立たずであるが、思いは消えないのだ し、もしも消えたとしても私が生きている間に私自身が憶えていればそれでいいじゃないか、と思うことにしている。

履歴書に書ける大学は二つしかないが、実は書けない大学もある。その大学のことで日々悶々と居るときにあの言葉「お金は心配しなくていい、勉強を しなさい」という言葉は厳しかった。勉強ちっともしないでグウタラな生活をしていた私を見透かすようであったのだから。しかし、あの一時期が私というものを作 り上げるもっとも大切な時期だったわけで、まさに青春時代のひとときであった。必ずしも履歴に正当な足跡を残したモノが自分の真の履歴ではないと思う強い 根拠は、私のこの時代の経験から来ている。卒業とか終了という言葉には縁が無かったが、第三の母校として都心が懐かしくなることがある。

父はあのことでも私を咎めたりはしなかった。最終的に素晴らしい師匠に巡り会えて満足な学生時代を終えて京都に来た私を我が手元に帰ってきた と歓迎してくれた。ところが、私に天性の放浪癖があったことや社会に出て僅か二年で結婚をしてしまったことで、父とは多くを語り合うことはなく、過去 の苦しみを打ち明けあう機会も殆どなかった。

語り合うこともなければ実像を見せ合うこともなかった父の姿が、自分がこの歳になって、はっきりと見えてくる。あのときに父は何を考え、 何を私に言いたかったのか。どんな気持ちでペンを持っていたのか。映画を見ていても涙を拭く場面で早々と自室に引きこもってしまったのは何故か。枕元に あった紙切れに走り書きがしてあったが、あそこには何が書いてあったのか。それは、今の自分を見つめることで鮮明になってくる。

父の形見は玄関にあるたった一枚の絵だけだが、私自身が形見であった。

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【塵埃秘帖・5月中旬号】

2005年5月 8日 (日曜日)

丼(あぶり真鯛丼)を喰う

バイクで1時間ほど走って、あぶり真鯛丼を食べてきました。
なかなか美味です。

お魚は毎日食べます。1週間の半分以上は生魚を(つまりは刺身を)食べますが、その私が美味だというのだからそんなにハズレじゃないでしょう。

まあ、街を探しても魚屋さんが殆ど無い所---近所親戚が何らかの形で魚を捕るなど仕事をしているところですからね、山村部のスーパーにキャベツや大根を置いてないのと似てますか---そんなところで食べたんだから素材にハズレは無いと思う。回転寿司だってすごく美味い。ただし近海モノとか養殖モノですよ。養殖だって新鮮なら美味いのだ。

そういうわけで、また、しばらくしたら今度はアオリイカの丼を食べに行こうと思います。

2005年5月 7日 (土曜日)

さあ、走ろう (バックミラーに青空が映った)

オフレポ>バックミラーに青空が映った

00/07/10 21:03

台風が去った後には、どこから吹いてきてどこへ行くのか判らないような風が吹いていた。東の空は青くても、県境に連なる1000メートルクラスの山には重くて不吉な雲がかかっている。きっと名古屋市を通り抜けた付近から天気も崩れるのだろうと、この先を当てにしないで走ることにした。これだけグッドなタイミングで台風が来てくれるなんて、神様がよほど私を戒めようとなさったに違いない。でもでも、前の晩にはいつものように酒を飲んで早々に眠ってしまい、夜中に家の軒先を見回ったといううちのんの行動さえ気がつかないでいた。6時頃に目が覚めて、青空が出ていたので電話番号が判っていたSたろうさんとえっちゃんに電話をいれた。えっちゃんは、ハスキーな声で電話に出てくれて、いよいよ会うのが楽しみになってきた。

もしも、参加者全員を把握して、しかも連絡先が聞き出してあったならば、このオフは確実に中止になっていただろう。無謀にも台風のなかでのオフになるかもと心配をしたが、最悪が避けられて幸運だった。田んぼには、嵐がもたらした水があふれている。水稲が生き生きしているように見える。青く広がった草原の中を風が吹き抜けるかのように、早苗にまだらの波模様を残しながら、嵐の余韻が吹いている。

天竜川の水は泥々で、怖いほど勢い良く流れているのだけど、アルプスの山々は青空のしたに少しずつ峰を見せ始めていた。

八ヶ岳横断道路を走り始めたら、綺麗に農地整理をされた野菜畑に出会った。おばあちゃんが腰を屈めて作業をしてたので、バイクを止めて話をした。
---これはじゃがいもですね、あちらの赤い花は?
と尋ねたら、
---赤い馬鈴薯ですよ
と教えてくださった。えんどう豆やとうもろこしがすくすくと大きくなっている。土の匂いがする。

ちょうど、そんなこんな話をしているところに、1台のジェベルが通り過ぎて、すぐに私に気が付いてか、止まった。初対面なのに、不思議な時間が流れてゆく。

バックミラーに青空が映って見えた。ああ、来てよかった。これからみんなに会えるんだと思うと、奮えるような衝動のほかに、口笛を吹きたくなるような気持ちになっていった。

2000.07.10

オフレポ>蛇苺
00/07/1121:28

八ヶ岳横断道路を少し蓼科に向かって走り始めて別荘が見え始めた所で、偶然にZZRとひとりの女性が目に入った。バイクに会わなかったので、直感が働いたのだろう。その前に、畑の前でタチさんに会っていたことも、反応する引き金になっていたと思う。

えっちゃんは予想通りの子で、素敵な人だった。朝、声を聞いていたので少し先入観が働いたが、思っている以上に若く見えて、着飾らず、そのままの姿に惹き付けられる。ううん、こりゃあ口説いてみたくなる人だ。そう思う人がたくさんいてもおかしくない。

その後、すぐに別荘に向かったら、何と昔の(オムロン)の別荘のすぐ隣でめっちゃ、びっくりしました。じゃばさんが先に到着してられて、かしこまった挨拶もなしに、うちとけて行く。

バイクのスタンドの下に敷く石を探して道ばたをごそごそしていたら、真っ赤な蛇苺(へびいちご)の群れを見つけた。思わず手を伸ばして実を採ろうとしたら、手にトゲが刺さった。

美味しいものには、トゲがある…。

苺を少しつまんで食べて、森の空気をたらふく吸って、やがてはしゃぎすぎる夜が始まろうとしていた。

2000.07.11

オフレポ>夢に嘘はひとつもなかった
00/07/12 21:53

あじさい(紫陽花)が雨に揺れている。そんな景色ばかりが頭にあったが、旧街道で見かけたあじさいは、太陽の光りを思いきり受けて、紫の冠のように輝いていた。

タチさんに会う直前に見た赤い馬鈴薯の花は小さく可憐だった。一方、あじさいは、自信に満ちて嵐の後の風に揺れていた。それまで…あじさいは、雨に濡れて暗いイメージしかなかった花だった、けど、気分が晴れれば明るいイメージに変わってしまう。夏の空が甦ってきて、軒先の花が私を勇気づけてくれているようで嬉しかった。

別荘の朝はすがすがしかった。朝日が落葉樹の間を透過して手元に届く。白くて優しい光りだ。ひとり、二日酔いでしょげていたのが悔しかった。コーヒーさえも一緒に飲めない。

このオフのメンバーの中で一番、昔から会いたいと言い続けてきた「かみりん」さんと昨晩は会えた。感動は、しょぼしょぼとやってきた。彼には飲んだくれの私を披露して恥ずかしい限りだ。しかし彼を始めパティオのメンバーにも会えたし満足だ。それが深酒の理由にはならないか…。

夢に嘘はひとつもなかった…。浜崎あゆみのシーズンという歌の一節だ。

蓼科湖の湖畔を待ち合わせ場所にして、9時と指定しておきながら、酔っぱらいが醒めずに遅れてしまった。しかし、その駐車場で待っていてくれた人。あとからやってきてくれた人。大勢が集まってくださった。

まさに夢に嘘はひとつもなかった…。

2000.07.12

そういえば、昔、こんな日記を書いた。

kumiさんの日記を読んでいたら、私も走りたくなってきた。

今、それを読み返すと、やっぱし、走ろうと思う。

2005年5月 4日 (水曜日)

熊野古道「ツヅラト峠」

熊野古道の「ツヅラト峠」を歩いてきました。   【5月3日】

海側(紀伊長島側)から登って、旧大内山村のほうに下りました。
標高400メートル弱の峠になります。これを海の高さから登るので、御在所岳の急斜面にも負けないような箇所もあります。

熊野古道は、歴史の街道です。
一生に一度でいいからお伊勢さんに御参りしたい、熊野にも詣でたい、そういう庶民の念願を叶えるための街道なんですわ。

昔の人々は歩きました。
海道を選択することもできたでしょうが、それは高額で危険を伴うものだったに違いない。
そんなことを娘と話しながら、岩の斜面を這い上がりました。

江戸時代ころまではこの斜面を魚を担いだ行商人も越えたという。

峠から太平洋が見えたときには言葉は出ないほど嬉しかった。じっと水平線を見やるばかりでした。

(写真は現像してからですから未定です)

2005年5月 1日 (日曜日)

蛇苺

ふるさとの沼のにほひや蛇苺  水原秋桜子

早朝に少しウォーキングに出た。
再開したわけですが、多分三日坊主だろうな。

活字を書いているか、読んでいるか、通勤してるか、寝てるか、食事をしているか。

そんな日常の中に居ますので、歩いている1時間は頗る貴重で贅沢な時間です。
でも、様々なことが頭のなかを巡ります。

すべての鳥の名前と、すべての草木の名前を知っていたら、森を歩いていても、それは宝石箱の中を歩いているような気持ちになれるのだろうと思います。少しずつ覚えよう。

【銀マド】書きました。

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