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2005年4月29日 (金曜日)

吉野山散りはて果てに西行庵

カメラには2枚だけフィルムが残っている。
それを持ってバイクで吉野山へと出かけてきた。

新緑が眩しいとはこういうのをいうんだなあ…と思いながら2時間ほどで到着。

吉野の山はブナ科の広葉樹林とヒノキの針葉樹林でまだら模様になっている。
すでに、山桜は散りはてて、新葉を噴出し小楢とその黄緑を競っていた。

蔵王堂でめっちゃゆっくりして、写真を1枚撮って更に奥へと向かう。

金峰神社でバイクを降りて、立派な登山道を歩くと西行庵があり、奥千本の最後の花びらが谷をキラキラと舞い散って行く。

それを急斜面で立ち止まって眺め入ってしまう。
素晴らしい。

**

西行庵までの道のりでひとりの女性に声を掛けてどこまで行くのか、などと他愛無い話をしながら歩いて、追い越したり追い越されたり。

彼女はひとり旅で、今朝東京を出て夜には帰るんだそうです。笑顔がとても可愛い。

彼女は柿の葉寿司を買って持っていて、それを頬張っている。

さてさて、私は西行庵で最後の1枚を撮って下山することにした。

バイクに乗っても何かもうひとこと伝えておきたかったなーって思っていたら、彼女が居たので

「さようなら、きょうは楽しい出会いで嬉しかったです」

と伝えて先に山を下ってきました。

**

標高が600メートルの水分神社付近の展望台から蔵王堂を見下ろせる。
ココからの景色は素晴らしい。

後醍醐天皇の無念がじわーと伝わるようで、家に帰って思わず太平記のそのあたりを読み返そうとしてみたり…。

※もしもフィルムが3枚残っていたら…なんて。

【4月27日】

2005年4月23日 (土曜日)

飛べない豚はただの豚

たまには日記を書こう。

昨晩、テレビで「紅の豚」をみた。
いいねえー。キザで。
最近、キザな奴って減ってきたんじゃないかね。
だからいっそう、洒落て見える。

赤いバンダナを風になびかせ、バイクで旅に明け暮れたあのころ、
旅をしない奴はただの暴走ライダーなんだよ、っていうような意味合いでよく皮肉ったものだ。

男のロマンを駆り立てるじゃないか。
おっと、恋する人がいないなー。

2005年4月20日 (水曜日)

銀マド>空を見上げる 〔穀雨篇〕

きょうは穀雨だと娘に知らされた。雨は田畑をうるおし、穀物の成長を助ける。きょう、この日を二十四節季は穀雨としています。

限度を越える雨が降り続くことは、人にとっても自然にとっても困ることですけれど、適度な雨は心を沈め地を潤し空気も洗い流してくれます。

光化学スモッグの緊急時監視体制というのが4月18日から始まりました。毎朝、10時過ぎになると四日市市の6時の気温とその日の最高気温、現在の天候、御在所岳の風向・風速などを総括して、北勢地区の光化学オキシダントの上昇を予想します。

風が緩やかで、お天気がよく、気温の日較差が大きい日。そこで海から風が吹くと光化学オキシダントの濃度が上昇します。

さあ、これから9月中旬までの毎日、県内の測定局からのデータを見つめ続け、空を眺めては一喜一憂の日々を送ります。

ときには雨降りを喜ぶこともありますが、どうかご容赦くださいませ。

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皆さんのPCからも一部だけですがデータを見ることができます。(こちら)

2005年4月18日 (月曜日)

田一枚植て立去る柳かな

 4月になりました。新しい組織、新しい学年での生活が始まっていることでしょう。毎年センターにやって来るツバメさん、今年は4月13日にやって来ました。
 
 一方、咲き始めるのが遅くてヤキモキしたソメイヨシノですが、今では散りそめとなりました。花のあとから新芽が吹き出しています。
 
 鈴鹿山麓にあります三重県環境学習情報センター周辺でも春が真っ盛りです。今日これを書いているのは16日ですが、今朝、国道沿いの水田で水を張った田んぼで田植えを始める姿を見かけました。

 陽光うららかな日和に鈴鹿山麓にぜひお越しください。ニュース記事にも書きましたが、4月から「エコプリント」(プリクラ)が新機種になってます。トップページに投稿された三重の自然の写真から8種類を選んで背景にしました。「四日市スポーツランド」と「ふれあい牧場」を巡ってスタンプを押してセンターに来てスタンプを押せばOKです。


*

 このメルマガの冒頭で田植えの風景を見かけたと書きましたが、「田一枚植て立去る柳かな」と芭蕉は詠んでいまして、ちょうどその句を思い浮かべました。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」で始まる「奥の細道」の旅へと、芭蕉が深川の住まいを出発したのは旧暦の3月末のことで、殺生石・遊行柳のあたりに辿り着くのがちょうど4月の20日ころでした。今ならば6月初旬になりましょうか。

 田植えの風景を道路から眺めて佇む余裕はありませんので、車を走らせてセンターまでやってきましたが、芭蕉のようにゆっくりと立ち止まって眺めることもなければ、大勢の人々が総出で田を植える姿も現代では見かけることもありません。

 人々の暮らしやそれを取り巻く環境は、極めてスローな足取りで変化をしてきました。私たちの自然に対する取り組みも、このスローな足取りを真似してじっくりとやってゆかねばならないのでしょうね。エコクラブ活動をしてくれる子どもたちをじっくりと育てて、私たちの未来の環境をみんなで考えてゆけるようになるといいですね。

4月号 メルマガ巻頭言+後記から

4月18日発行のメルマガ巻頭言+後記から

◆  巻頭言 
─────────────────────────────────────

 4月になりました。新しい組織、新しい学年での生活が始まっていることでしょう。毎年センターにやって来るツバメさん、今年は4月13日にやって来ました。
 
 一方、咲き始めるのが遅くてヤキモキしたソメイヨシノですが、今では散りそめとなりました。花のあとから新芽が吹き出しています。
 
 鈴鹿山麓にあります三重県環境学習情報センター周辺でも春が真っ盛りです。今日これを書いているのは16日ですが、今朝、国道沿いの水田で水を張った田んぼで田植えを始める姿を見かけました。

◆  編集後記 
─────────────────────────────────────

 このメルマガの冒頭で田植えの風景を見かけたと書きましたが、「田一枚植て立去る柳かな」と芭蕉は詠んでいまして、ちょうどその句を思い浮かべました。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」で始まる「奥の細道」の旅へと、芭蕉が深川の住まいを出発したのは旧暦の3月末のことで、殺生石・遊行柳のあたりに辿り着くのがちょうど4月の20日ころでした。今ならば6月初旬になりましょうか。

 田植えの風景を道路から眺めて佇む余裕はありませんので、車を走らせてセンターまでやってきましたが、芭蕉のようにゆっくりと立ち止まって眺めることもなければ、大勢の人々が総出で田を植える姿も現代では見かけることもありません。

 人々の暮らしやそれを取り巻く環境は、極めてスローな足取りで変化をしてきました。私たちの自然に対する取り組みも、このスローな足取りを真似してじっくりとやってゆかねばならないのでしょうね。

2005年4月15日 (金曜日)

戦略というもの

戦略というものを打ち立てることが重要だ。まず目標を明確にし、達成の手段を考察する。手段を吟味し工程と根拠を構築してゆく。

ひとつの提案をクローズドな会議室に提案した。クイックアクションで動いていただいた。非常に評価できるアクションだ。しかし、戦術が正しくなかった。伝書鳩のように御使いをするだけになってしまったようにみえるのだ。これでは新しいものを創出することなどできないだろう。


あとになってじわっと浮かんでくることがある。それを整理できずにいる。


同じ目標を持って挑んでゆく気ならば、それが本気で真剣ならばあんな愚かな行動には走らないはずだ。結婚させてもらえない頑固オヤジを崩すときに作戦を立てるのと同じじゃないかと思うのだが。。。<ほんとうに改革する気あるのかい?>と問いたくなる。<そんな折衝手法で事業を動かせるの?>と苛立ちが募る。

提案の主旨は何なのか、考えてみるべきだ。そのまま持ち込んでも受け入れられるわけがないことくらいは赤ん坊でも分かる、と私は思っていた。今回、伝書鳩をしてくださった人は、その赤子の気持ちになれなかったのであろう。正直に掛け合ってくださってありがたいのだが、先天的な素質なのか。そこで、すべてが終わってしまう。


答えをいくつか想定していた。<折衝に行くまでも無く、そんなことは無理でしょう>と答えてくれたら普通だ。<公平性に欠けるから無理でしょう>、でも良かった。
しかしねぇ、提案者(私)はそんなことを百も承知で言ったのだから、やや優等生の答えなら<何か手段を練りましょう>とかなどもあるかもしれない。

知恵を絞って物事を打開してゆきたいという本能のようなモノを人は持っている、と感じることがある。だから、無理を可能にする手立てや、譲渡してもいいから目標の一部分だけでも達成するにはどうするのがいいか、を考えようとする。したがって、明らかな結果が見えているのに失敗へと導くアクションは自殺行為、あるいは破壊行為としか思えない。少なくとも私にはそう見える。

だから、私はそこで打つ手立てをなくしてしまった。

どうやら、前例をぶち破るとか、打ち崩すとか、最低でも土台を揺るがすような刺激を発するとか、そういう発想は無いらしい。

どうしたもんだろうか。そういう頭脳の人を排し、柔軟でクイックに、あるときは慎重に、戦略を練ることのできる人たちを集積したいのだが、世の中は自分の考えるようには進んでくれない。いわゆる「水モノ」なのだ。目覚めよ、器のある人たち。自覚して集って欲しい。


もっとも、こんな所で愚痴っていてもしかたがない。結果的に伝書鳩の集まった小屋にメッセージを入れた私には、更に戦略が欠如していたのだとも言えようが。

(もう、何も書かん、やめ!)

2005年4月 9日 (土曜日)

桜が咲いた

最近、【晴天乱気流】なんていうものを書いてみたりして試行中です。
そこにも書きましたが、センターでも桜が咲き始めています。
遊びに来て下さいね。

さて、きょうはちょいとそのあたりの山をバイクで散策してきます。

2005年4月 6日 (水曜日)

前輪ブレーキパッド交換

前輪ブレーキパッド交換
総額6070円 33000キロあたりだったと思う。

2005年4月 3日 (日曜日)

初心

新年度・新学期ということで職場に新鮮な風が吹いている。出会い、新鮮、嬉しい、出発。。。新しい人々と新しい組織で活動を始めるときは足取りも軽くなる。

新しく名前を覚えねばならない人が4人できました。もう少ししたらまた2人増える予定で、去年からの古株さんは全11人中私を含めて5人ですので、過半数の議決権を超えることになりますな、なんていうジョーダンも飛び出している。

男は3人で肩身が狭いとまでは言わないものの、言葉には気をつけなければ。。。既にイエローカードが2枚は出た私。「初心忘るべからず」と肝に銘じよう。

数々の修羅を旅してここまでやってきたのですが、二十四歳のころは新鮮でした。現在、防衛医学研究センター長である菊地先生が三十五歳くらいで新米教授、関谷先生も若かった、荒井先生も新米で二十八歳、二川さんも同い年だから博士課程の一年でした。

みなさん、「こら!オマエ、こんなヘマやって、しかたがないなあ」と叱ってくれる人たちでした。荒井先生には、年季の入ったアルファロメオに学生を4人も乗せていつも駅まで送ってくださいました。「キミたちが未来を創るんだからね」と激を飛ばしてくださいましたし、お叱りも受けました。二川さんは家が近かったので浦所バイパスをスバルに乗せてもらって帰ったことが何度もありました。

そのときのように私に苦言を下さる人が年々少なくなってゆきます。それは私がオトナになって自分でモノを考えるべき所にいるからでしょう。しかし、それに甘えてやりたい放題をやっているんじゃない、と少しは反省しなくてはいけないんだな・・・と、新学期を迎える人たちのメッセージを読んでいて自戒してます。
「お父さんも亡くなってしまったし、ちょいとは誰かの言うことを聞かなあかんな」といううちのんの言葉は、節目節目に結構重く圧し掛かってきます。

この人の忠言なら理屈抜きで聞くという人、あなたにはいますか?

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