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2004年7月31日 (土曜日)

夕焼けの向うへ - Walk Don't Run -

さあ、始めようかっていうときは、やっぱし力が入ります。

初めてバイクで旅に出たときを思い出すな。
あの時は、力みなどは存外なく、既に一歩踏み出してしまっていたので
二歩目三歩目がぎこちなくではありますが出てきた感じだった。

ココログ。
書き出しをどうしようか、って考えてみたりもした。
「我輩は猫さんである」と書き出しても、いささか隔世の感もあるし、ね。

ただ、こうして書き綴っているときも台風10号の雨が横殴りに降り続き、
お隣さんの屋根も、しぶきに霞んでいる様な状態です。

いいじゃない。
そんな思い出深い日に日記を書き始めるなんて・・・

ええ?
アイツと別れたあの夏の、あの日も土砂降りのなかだった、、、って?

2004年7月22日 (木曜日)

7月22 日号 大暑篇

仕事を終えて鈴鹿山麓リサーチパークの周回道路から国道306号線に向かって走ると、四日市市の高い煙突が街の明かりの向こうに見下ろせる。

人々の暮らしは、海から陸へ上がり丘に向かって広がってきて、鈴鹿山麓の大丘陵地帯の山里の森の中にたくさんの住宅地をつくって営まれてきた。大都会と比べるとささやかではあるものの、工業技術主体の経済社会の発展が生み出した小さな歴史とそのマップであるのだろうと思いながら丘陵地帯を走る。

高原の風を感じる。そんなデジャブのようなものを感じることがある。窓を開けて車を飛ばすと、森の木々が放つ香りが飛び込んでくる。松林と杉林では匂いが違う。雑木林にもまた違うモノがある。人々の暮らしをまるで色分けするように、工場地帯の煙突と住宅地帯の明かりが並んでいる世界へと、私は急降下をしてゆく。

高原の風は、やがて湿気を帯びて、排気ガスにまみれてくる。揺らめいていた明かりが間近に成ってくると、私は窓を閉めてエアコンのスイッチを入れる。このまま、高原の道を走り続けていたいものだと悔やむような気持ちがある。

バイクで旅をするときには、その悔やむ気持ちがいつまでもどこまでも不要のまま走り続けることができる。人は、現実があるから、デジャブという概念を持てたのだろうし、不幸せがあるから幸せを感じるのだが、幸せばかりの世の中ではそのダイナミックレンジをスキャンする能力に狂いが生じる。イニシャライズの手法は様々だが、世直しは必要なのかも知れない。

電気の明かりというモノがなかった時代、おそらく、ここで感じる高原の風と同じような風が、人々の暮らす街の中でも吹いていたに違いない。抵抗さも出来ない夏の暑さに立向かうために、理論という概念のないながらの科学的対処や非科学的戒めなどを信じていた。夏の暑さを思うとき、賢治が書いた「おろおろ歩き」を思い出し人の心の美しさとたくましさを想像してしまう。

2004年7月 7日 (水曜日)

7 月7 日号 小暑篇

セミが鳴いているのをセンターの構内を散歩して見つけたのが、つい先日の日曜日のことです。そしたら立て続けにあちらこちらでクマゼミが鳴き始めたり、所によってはヒグラシも鳴いているという便りが届いてきます。

日本列島の本州部分には4つの季節の他に梅雨という季節があります。これは夏を迎えるための通過儀礼のようなもので、近頃は雨がたくさんふるわけではなく、その形も集中豪雨的へと変化しているのではないかという声も(学説?)聞かれます。ほんの1週間ほど前にも局所的に雨が降って災害が発生している地域が報じられました。私たちの手で何をどのように変えて行けるのかは疑問ですが、自然の営みには敏感でいたいものです。

きょうはたなばた様です。5節句のひとつですね。季節の変わり目に感謝をし、今の季節を精一杯に受け入れて喜ぶ。四季の変化に感謝をしたいものです。

夏は暑いので嫌いな人もあるだろうし、逆に好きな人もありましょう。私は?実の成るモノが畑に行くとたくさんあるという点では大好きです。とうもろこし、すいか、瓜、なす、ピーマン、きゅうり、トマト、もも。挙げればキリがない。夏の朝は美味しい。

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