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2004年1月25日 (日曜日)

長崎ぶらぶら節 <2004年1月下旬号>

本屋にひょいと入る。時には暇つぶしのこともある。そこが古本屋のこともある。

良い古本屋は、さらに落ち着く。 本の並べ方を考えてみる。新刊本の店と古本屋との本の陳列方法は同じであってはいけない。新刊本の店にはそれなりの陳列作法があり、古本屋には古本屋の流儀があるのだ。

おバカな店主が本屋をするとこれが乱れる。下手な演奏でダンスを踊るように、本屋での探し物や掘り出し物あさりがつまらないモノになってしまう。

おバカな本屋ばかりがある私の住む町近辺で、1軒だけわりとまともな本屋がありまして、こちらで本を探していると、店主の本に対する気持ちも伝わってきて、本探しもトントンと行きます。

先日のことですが、あれも欲しい、いやこれは今度にしよう、と悩んでいる私が衝動買いをした1冊があって、それは、なかにし礼著:「長崎ぶらぶら節」でした。

長崎ぶらぶら節、文春文庫185ページから;

「人間の声は化粧もできんし、衣装も着せられん。しかし歌う時とか芝居をする時、または嘘をつく時、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性が出るもんたい。上手に歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う。」

もちろん、ここだけ読んでもわからない。でも、全部を読めば引用した私の気持ちもわかりましょう。

林扶美子の「放浪記」を読み終わったときと似た感動がありました。中身やジャンルはまったく違いますが、時々、朗読をしてしまいたくなるような小説です。

しっかりしたモチーフと主題のもとで、どうしたら読み手がのめり込んで自分の文章に酔いしれてくれるだろうかと、思案をしながら書いている。いやそれが天性でできている小説でしょうか。

現代風の作品を何冊か読んだ後には、夢の中で彷徨うような快感があります。

2004年1月18日 (日曜日)

バードウォッチング <2004年1月中旬号>

初めてバードウォッチングというものに参加した。伊勢市にある2つ池というところであったので朝から車をとばして行ってみた。

日本野鳥の会の方々がものすごく丁寧に説明をしてくださるのですが、ことさらモノ覚えが悪いのでいつまでたっても鳥の名前さえも覚えられず、なかなか慣れないので特徴を捉えることもままならない状態で、それでもあっという間に3時間も水辺で観察をしていたのだから、これは私の人生でも相当に大きな記事になると思っています。

冬鳥の季節であり。そこでまず最初はカモから入門する。コガモの特徴を教わって望遠鏡をのぞく。教えてもらっているように覗けるかどうかさえ不なんな気持ちです。どうにか対話になるような観察ができてほっとする。

マガモ、ハシビロガモ、アオサギ、…と続く。最終的に登場した鳥は24種類にも及ぶ。鳥ばかりではなく、カワセミの巣も教わる。凧糸が足に絡んで溺れて死んだ鳥の死骸もあがって、様々な考察や意見なども飛び交う。

家に帰って近所の調整池で復習をしたことは内緒です。

皆さんは、高校時代の生物の先生を髣髴するような語り口で、自然保護は当然であるが、学術的視点で観察するという点でも、私をとことん刺激した。

もしも、もう少しでも鳥に詳しくなれたなら、野営をしているときにも、すべての鳥の鳴き声が私の好奇心を刺激してくれることになる。知らないことを知ること。こんな素晴らしい触覚やセンスを、子どもの時代から少しずつ劣化させていっているオトナではなかったか。

2004年1月 5日 (月曜日)

 宿命 <2004年1月初旬号>

時々刻々とめまぐるしく社会は転がってゆく。それが上へと向いているのか、下降なのか。もしかしたら、上を向いていることが実は錯覚で、宇宙に迷い込んだ如く、上も下もないのかもしれない。こうなると見つめるべきは自分自身ということになる。

現代社会を憂ってみたり、時には小言めいたことを言ってみたりしている。これは悪いことではないと私は思うのだがいかがだろうか。それよりも、この小言にまったくの反応しない人が多いことが、ちょっと心配ではないかと私は思う。もう少し、正論でも感情でもいいから反論をしてくれる人があってもいいのではないか。多くの人間があまりにも無責任すぎることは、社会の責任でもあり、親の責任でもあり、これまでの教育の反省点でもあろう。誘い水にも乗ってこないところに無気力感を感じざるを得ない。

さて、「砂の器」がドラマ化されると聞いた。はたして今の世代にどこまで受け入れられるのだろうか。ちょっと楽しみにしています。

ここまで書いて半月ほどの日にちが過ぎていった。もはや1年の5%ほどが過ぎていったことになります。5%というのは消費税の率と同じ。多いと思うか少ないと感じるか。

「宿命」という主題を持ちながら社会は推理サスペンスの要素も持った松本清張さんの小説のドラマ化です。

ちょうど、同じように「宿命」をテーマにして書かれた小説に宮本輝著;「睡蓮の長いまどろみ」があります。ドラマは、ドラマであるからこそ、現実から1歩下がって哲学的に物事を振り返ってみることもできます。その後、ぐっと落ち込んだような気持ちになるけど、さあ、前へ進もうという高鳴る鼓動のようなものも感じることができます。


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