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2003年2月28日 (金曜日)

上を向いて 〔2月号外〕

上を向いて

▼上を向いて歩こうという歌がある。涙がこぼれないように~と歌う。とりわけ泣き虫な私にしたらとても不思議な歌で、上を向いても涙が眼窩から溢れ出ないことなどは実際にほとんど有り得ない話なのです。だから、涙が流れるのを見つからないようにしてそっと泣こういう意味が隠されているのかなとずっと今まで思っていた。

しかしながら、今ごろになって何を言ってるのと叱られそうだが、つまり、これは上を向いて素直に涙を流してやろう、隠さなくてもいいじゃないか、涙が頬を伝って流れ落ちるのをそっと拭き取ってやろう、という歌だったのだ。

▼今、涙はこぼれていないが、少し空を見上げてみることにしよう。木枯らしが空中の塵を洗いざらい吹き飛ばしてしまったような澄み切った真冬の青空ではなく、花粉や黄砂をたくさん含んだ穏やかな黄色みがかった空である。不思議なことにこういう気候になると黄色い菜の花が良く似合う。先ごろまで大根や春菊を栽培していた畑が、殺伐としたこげ茶色の地肌を残したままになっている隣で、勢い良く花を咲かせているのが菜の花である。決して美しい花ではないが、作家の司馬遼太郎さんも好んだという花です。

▼久しぶりに空をこうして見上げていると、ひばりが天高くさえずるのに出会います。「さえずる」という字は「囀る」と書き、英語ではChatという。なじみのある英語なのでことさら可笑しいように思う。子どものころ、母に連れられて春の畑に行けば必ず「ルリルリが啼いている」とひばりのいる空を指差して言ったという。そのさえずりが本当に「ルリルリ」と聞こえる。そして、天高くという形容がこれほどまでに似合うものかと思わせるほど高くを飛んでいる。空にはひばりが1羽だけ飛んでいるだけで、啼声もひとつしか聞こえない。

▼こんな穏やかな大気の中を花粉が飛んでいる。アレルギーの皆さんには全然穏やかではない空なのだ。人が自然に過剰反応するようになったのか、自然が人に警告を発しているのか、そのあたりは定かではないものの、地球が少しずつ変化をしているということだろう。地球という大きな自然現象がこのように目に見えて変化しているのだから、人の心という心理現象もまったく違った位相で変化しているのだとも言える。人間の知恵やテクノロジーがこれに必死に抵抗しようとしているのが滑稽にも思える。運動エネルギー保存の法則と相対性理論とマクセルの電磁方程式があれば、なんでも解決できると信じてきた私たちは、大きな壁に直面している。ほんとうに人の心には適用できないのだろうか。

▼まだまだ風は冷たい。冬が終わったら春が来る。梅が咲く。香りを求めて梅林を訪ねたことがあった。そこには近代的コンロを持ちこんで焼肉バーベキューをする人たちが群がっていて、肉を焼く煙が谷を漂い、梅の香りなど微塵もなかった。何年か未来にはこの梅たちが花粉を飛ばし人が近寄るのを防御するときが来るかもしれない。梅などどうでもいい人たちの姿を見て英知の裏面を見た思いがした。

2003年2月23日 (日曜日)

ひとり(ソロ) 〔2月下旬号〕

 ひとり(ソロ)

▼ひとりになりたいと切々と感じた昔があった。誰も私などに構ってくれないし、私などこの世に居ても仕方がないのだというような刹那な気持ちである。時にはまた、何かに立ち向かう前の、まさに助走開始の第一歩を踏み出そうとする瞬間であったかもしれない。誰かに邪魔をされるのを怯えるような守りの姿勢でなく、自分いう者とじっくりと対面し見つめ考えたいと思っていた。天空から自分を見下ろすような視線である。

▼社会人になり、結婚をして子どもが生まれて、ひとりになれることが稀になってしまった人も多いことだろう。また一方で幸運にもマイペースでひとりを楽しんでおられる人もあるだろう。私の場合は、自分の部屋があってここでひとりになれる。ありったけの情報をここに集積し(積んであるだけ?)、時には音楽を聴いたり楽器を吹いたりする。塵埃秘帖もここで書く。恵まれているとも思う。もしも、子どもが二三人いたらこの部屋は明渡さなくてはならなかった。

▼バイクに乗っている時もひとりである。ソロで走っているときは、ひとりごとを連発する。それは、ぼやき、弱音、歓び、怒り…など様々だ。目の前で起こる出来事や景色の変化には過去とソックリなものがあるが、まったく同じものはない。時間軸という引き返せないレールの上を歩んでいることの喜びであり、時には悔しさでもある。誰とも会話をしないのであれば、都会の混雑した電車の中に居てもひとりであるし、公園を散策してもひとりである。バイクに乗って旅に出るときのひとりきりと何が違うのだろうか。この疑問は、何故バイクに乗るのですか、という問いかけでもある。

▼四国のある河川敷でテントを張ったときに、お互いが酒を持って寄り集まり話が弾んだことがあって、そばに居られた老夫婦が「何故バイクに乗るんですか?」という質問を私になさった。同じく集っていたひとりのツーリストが「逃避でしょうね」と答えていた。どんな時代になっても「ひとりになりたい」と言って旅に出る人が多い。その心の奥には「逃避」という言葉があるのかもしれない。現実から逃げてゆく。だから人は、ひとりになるだけでなく、もっと遠くに行きたいと思うのだろう。遠くとは一体どんな処なのだろう。例えば恋人と二人でつるんで遠く人里を離れた村を旅することができたら、それはひとりではないが、満足は得られるのだろうか。やはりもう少し先ではひとりぽっちになりたいと願う自分が居るのだろうか。

▼遠くに行って、ひとりになる。でも、それは帰ってくるところがあるから出かけられる。芭蕉も蕪村も山頭火も世俗から離れて旅に出た。しかし、芭蕉には帰り着くことのできる古里という場所があり、蕪村や山頭火にはそれがなかった。これは人の心にもあてはまる。依り処という。

2003年2月15日 (土曜日)

ホンモノ <2月中旬号>

ホンモノ 

▼1月末、アルバイトの給料を受け取りながら、月日の流れるのは早いものだなと感じていた。知人の紹介で10月から6ヶ月の契約で仕事に出ていたが、それがもはや半分を過ぎていたことを給料袋を手に実感したのであった。昨今現金で支給をするのは珍しい。これに限らず職場を変わって珍しいことの連続だった。

環境や雇用条件、形態が変化すると驚くことや学ぶことが多い。いかに自分が狭い世界でささやかなことに満足をして生きてきたのかということを改めて知った。

このような変化を違和感と感じてついつい言葉にしてしまう。すると硬い殻としてこの体制を守ろうとする人に必ずぶつかる。プライドと同じように大事にし、棄て去ることを嫌う人々である。

否応なく失業した私がこの殻にぶち当たるのは致し方なかったにしても、率先して自らの力でこの殻を打ち破って活躍しようとした人々にも体制は決して暖かくはない。社会の底辺の高さまで意識や視線を落として気がついたことであった。そこには確実に哲理が欠如しており、社会は倫理を失いつつある。

▼3月中旬で仕事がなくなるので、あたふたとしていたら塵埃秘帖を書くのを御座成りにしてしまった。それは悪いことでもないと思うが、余裕を持てずに日々を送ることは私にとってマイナスであった。冷静にならねばならないと言い聞かせても困難であるのが常である。こういうときこそ本領を問われるのだろう。本領とはいつどんなときにでも冷静な判断ができることである。

▼さて、冷静に「ホンモノ」を見る眼というものが私にはどこまであるのか。自信が湧くときがあれば失意に落ちることもある。しかし、ホンモノを見る眼を育てるよう心掛けているしかない。ホンモノに出会う機会を少しでも多く持ち、センスを磨く。音楽にしても美術にしても学問にしても、遊びにしても例外でなく、すべてにそれが言えよう。

娘が高校受験生で、将来に何になりたいかとか夢は何かと、誰彼となく聞かれるらしい。15,6歳の子どもに自分の未来の何がわかろうか。天文学を学びたいなどと夢を語っていた。そこで私は、周囲に影響されて塾に行ってみるとか、目的が曖昧なまま遊んだりするのはやめるべきだ、夢を叶えるためにはその夢が何物なのかを研究するべきだ、と私は言っている。

まず、目標を考えて戦略を立てること。これを必ず自分の頭で考えること。そしてもっとも大事なのは、失敗を恐れず、くじけず、目標を見据えて、自分の戦略に自信を持ってゆくこと。戦略のよしあしが八割だと言っても過言ではないだろう。

相当に難関な大学に進学するには普通に勉強していたのでは無理だというのが進学校で教師をしている知人たちの通説である。しかし私はそれを否定せずとも従わないつもりだ。通説を優先することよりも、試験の成績が悪くても何故悪いのかを自分で考え、対策も作戦も自分で考え、再挑戦してゆくこと。悪い成績を持って学習塾や家庭教師に飛びついたら(プロに任せてしまったら)きっと成績は上がるのだろうけど、今しかないのだから、ちょっと冒険して自分なりの工夫をしてみてはどうだろうか。それで駄目でも工夫をした内容がすばらしければ必ず明日につながるのだ。私はそう言っている。

確かに才を身につけ、術を知ることは重要だ。しかし、社会に出てからは塾などないのだから、自分で考えねばならない。だから親父は横であれこれと入れ知恵をするのが仕事だ、というと、仕事がない(プーや)からな、と反撃された。晩酌が少しずつ深まるにつれて、わけのわからないことを言い出す私は、立派な反面教師なのかもしれない。

▼酒飲みのぐうたら話は続く。次第に娘は馬耳東風を装ってゆく。疲れずに話を聞く術なのだろう。

プロジェクトXという番組は、実は愚かな人の物語であって、これからに時代に本当に叶うような健全で人間的な意識の成長を助けるのを妨げているのでなかろうか、と疑問を持ったことがある。成功したら良い。しかし、ほとんどは失敗であろう。企業戦士を鼓舞する「失敗を恐れるな、失敗は成功の元だ」というような言葉が、都合良く違う意味で利用されて十数年、いや、二十数年かもしれない。戦士たちは高度成長の山頂に幸福を夢見て働いた。しかし、こんな時代だから、少しいい加減になり、立ち止まってもっと大局的に麓を見つめることができるようになってもいいのではないか。(麓だと思っていたのは実は只の野原だったってことはないか。)

NHKというメディアが、社会や人々に非常に文化的で暖かい冷静な視線を投じている、と思うことがあれば、プロジェクトXのように、ひとつの番組が右翼啓蒙的な映像に見えることがある。強き者、弱き人々の味方であるようで、第三者的でもあるのだ。だからNHKというところは不思議である。これが現代社会の表と裏を如実に表現しているのかもしれない。

▼娘よ、こんな技術の進歩や社会の流れにとらわれない生粋の学問を目指そうではないか。お父さんができなかったこと。哲学を科学するとか、心を(心理を)科学するとか。自然界に踏み出していってみるような仕事とか。面白いと思わん? 工学だけはやめてくれ!(これが本音であったか)

私の話がわかっているのか、テキトーに聞いていたのか、突然、「お父さんの部屋の宮本武蔵は全部あるんやなぁ、あれ読もうかなー」と言いだした。そこで私は、「高校時代は勉強などしないで、そんなものをどんどんと読んで頭を遊ばせておきなさい。ホンモノに出会うチャンスを掴むことが大事なんだよ。」

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