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2003年2月23日 (日曜日)

ひとり(ソロ) 〔2月下旬号〕

 ひとり(ソロ)

▼ひとりになりたいと切々と感じた昔があった。誰も私などに構ってくれないし、私などこの世に居ても仕方がないのだというような刹那な気持ちである。時にはまた、何かに立ち向かう前の、まさに助走開始の第一歩を踏み出そうとする瞬間であったかもしれない。誰かに邪魔をされるのを怯えるような守りの姿勢でなく、自分いう者とじっくりと対面し見つめ考えたいと思っていた。天空から自分を見下ろすような視線である。

▼社会人になり、結婚をして子どもが生まれて、ひとりになれることが稀になってしまった人も多いことだろう。また一方で幸運にもマイペースでひとりを楽しんでおられる人もあるだろう。私の場合は、自分の部屋があってここでひとりになれる。ありったけの情報をここに集積し(積んであるだけ?)、時には音楽を聴いたり楽器を吹いたりする。塵埃秘帖もここで書く。恵まれているとも思う。もしも、子どもが二三人いたらこの部屋は明渡さなくてはならなかった。

▼バイクに乗っている時もひとりである。ソロで走っているときは、ひとりごとを連発する。それは、ぼやき、弱音、歓び、怒り…など様々だ。目の前で起こる出来事や景色の変化には過去とソックリなものがあるが、まったく同じものはない。時間軸という引き返せないレールの上を歩んでいることの喜びであり、時には悔しさでもある。誰とも会話をしないのであれば、都会の混雑した電車の中に居てもひとりであるし、公園を散策してもひとりである。バイクに乗って旅に出るときのひとりきりと何が違うのだろうか。この疑問は、何故バイクに乗るのですか、という問いかけでもある。

▼四国のある河川敷でテントを張ったときに、お互いが酒を持って寄り集まり話が弾んだことがあって、そばに居られた老夫婦が「何故バイクに乗るんですか?」という質問を私になさった。同じく集っていたひとりのツーリストが「逃避でしょうね」と答えていた。どんな時代になっても「ひとりになりたい」と言って旅に出る人が多い。その心の奥には「逃避」という言葉があるのかもしれない。現実から逃げてゆく。だから人は、ひとりになるだけでなく、もっと遠くに行きたいと思うのだろう。遠くとは一体どんな処なのだろう。例えば恋人と二人でつるんで遠く人里を離れた村を旅することができたら、それはひとりではないが、満足は得られるのだろうか。やはりもう少し先ではひとりぽっちになりたいと願う自分が居るのだろうか。

▼遠くに行って、ひとりになる。でも、それは帰ってくるところがあるから出かけられる。芭蕉も蕪村も山頭火も世俗から離れて旅に出た。しかし、芭蕉には帰り着くことのできる古里という場所があり、蕪村や山頭火にはそれがなかった。これは人の心にもあてはまる。依り処という。

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