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2002年9月21日 (土曜日)

南アルプス周回〔9月21、22日〕

  南アルプス周回〔9月21、22日〕

  -- パティオ・オフ会 --


  9月21日

  〔はじめに〕

  夏は終わった。すっかり秋の風で、彼岸花がちょうど一週間ほど前から咲き始め、苅田のあぜ道が色鮮やかである。 少し厚めの服を二枚ほど余分に持とうと思いフリースをBOXに詰める。万一のための装備でいっぱいになってゆく。

  オフ会は、9月21日の夜。南アルプススーパー林道の西側入口ゲートを100メートルほど北に行った河原に現地集合である。今年の6月1日に黒河内林道を下ってきたので道路の様子はおよそわかる。お気に入りである伊那谷の「地蔵峠」や「分杭峠」を越えてゆこう。

  数日前からの天気予報は、21日が晴れで22日が雨という。しかし、前日には21,22日とも晴れで23日が下り坂であると変わった。

  〔出発〕

  荷物まとめに汗を流すこともなくなり涼しい朝だ。8時20分に準備完了で、娘に写真を撮ってもらい出発。国道23号線は3連休の初日であるのにさほどの混雑もなく、快適に豊田市まで着く。このごろは、R23をひとしきりぶっ飛ばして2時間ほど走ると豊田市に着くので、ここから休日でガラガラの豊田市街を通り抜けてゆくルートを愛用している。その後、「足助街道」を経て飯田に向かう「飯田街道」とを走り、長野県に入って羽根村から国道をそれ、天竜川の流れる谷に向かって名もない県道を通る。売木村というところの道の駅で休憩をする。

  〔売木村・道の駅〕

  ちょうど昼飯の時間が過ぎるころだったので食堂をのぞくと「ソースカツ丼セット」が千円であった。駒ヶ根で食べても千円であろうし、試しに勇気を出して食べてみよう、と思い注文をした。ショーウインドーはお重だったのだが、実際には丼鉢で出てきた以外は申し分ない。駒ヶ根の味に十分に近い。これはお急ぎの人にお勧めである。

  〔天竜から地蔵峠〕

  大塚製薬のボンカレーや大村昆のオロナミンC、水原弘の香取線香の看板がひょっとしたら残っていそうな町並みを走り抜ける。何度通ってもホッとする田舎の村である。そしてそのたびごとに感じているのは、この村の生活のことである。何して暮らしているんだろうか。

  地蔵峠までは近そうであるのに、実際には結構走らされる。飯田線〔JR〕の線路が時々見える。廃線跡かなと勘違いしそうである。トンネルも崩れかけているようにも見えるが、やがて立派な駅が現れる。JRに乗りに1度来てみよう。文化祭で「鉄研」の展示に関心を持ち始めているわが家族を誘えば案外、ついて来るかもしれないな。そんなことを思いながら国道418号を上ってゆく。

  秋葉街道という。いつもしつこく書くが、何もない村、南信濃村を通り、村道1号を経て地蔵峠を越える。国道152号線の最難関がヒョー越え、次が地蔵峠。あとひと月もするとこの大きな山の塊が絨毯のような紅葉に包まれる。

  〔分杭峠から南アルプス林道入口へ〕

  すっかり走り慣れた道になってしまった。初めて通ったときには、ダートの地蔵峠を越え、通行止めの分杭峠を迂回させられた。今は全線が舗装道路になった。オンロードのバイクのほうが多いくらいだ。

  稲刈りが真っ盛りである。家族総出である。よく観察すると作業をする人に、子供がいて年寄りがいて、若い娘さんの姿も見かける田んぼもある。機械は小型のものですぐに脱穀をせずに、稲架〔はさ〕掛けをしている。〔→稲架(はさ):(挟(はさ)むの意)木や竹を組み、刈り取った稲をかけて乾燥させる設備。おだがけ。いなかけ。小学館国語大辞典から〕

  これが日本の農業の原点であろう。作業も然りであるが、人が0歳から80歳まで、お互いの人権や役割を大事にして生きている。サラリーマン社会は、稼がぬ人間は罪人のごとく扱う風潮を定着させたが、今となってはもう取り返しはつかない。「福祉」という言葉や「介護」という言葉は、その言葉自体が不要で、存在しえなかった歴史を終わらせてしまった罪の重さは取り返せない。合理性だけを追求しつづける近代的な社会から、そのような風景のあるところにやってくると、ホッとするひとときをもてると同時にやり場のない空しさに襲われる。

  〔焚き火〕

  キャンプオフ予定地は、すぐにわかって、焚き火を囲んで話が弾む。子供のころに家事手伝いで起こした火のぬくもりが蘇える。

  9月22日

  〔黒河内林道から入笠山へ〕

  ブルドーザーを載せたトラックが林道をのぼっていったのを見ていたが、この先にあのトラックが方向転換をできるような場所などあるのだろうか〔あるから作業者は行ったのだけど〕と心配をしてしまう自分がおかしい。淡々とのぼってゆく林道は、楽しいわけでもなく、刺激的でもない。ウォーミングアップのようなものだ。Nさんの後ろを牧場付近まで一緒に走る。入笠山で私がウンコをしている間に先に行ったNさんを追いかけてみるが、そう簡単にも追いつくまい。3連休の真中。車もバイクもまずまずの出足のようである。暴走集団の連中もお出かけのようであったが、早速、警察のお咎めを食らい道路脇の空き地に誘導されているのも見た。安全週間である、気を付けよう。

  〔夜叉神峠へ〕

  甲州街道から櫛形町へと向かう県道に進路を変え夜叉神峠を目指す。この付近も稲刈りの季節である。コスモスが沿道で秋風になびく。昔、芦安温泉下流の「天恵泉」に寄ったときは夜叉神峠を越えずにそのまま清水市に向かって南下した。今日は念願の夜叉神峠越えである。ガソリンも満タンにして気合十分であった。

  予想以上に厳しい峠だったというのが印象だ。左手の谷底には南アルプス街道が一筋になって川沿いを下っている。あそこまで降りるのだが、相当な標高差と見事なまでの断崖である。簡単には到達できないと覚悟を決めた。

  寒い。フリースを取り出そうか迷ううちに、ひとつ、素彫りのトンネルがきたり展望が開ける広場がくるが、もう少しだけという思いを繰り返すうちに南アルプルスーパー林道の入口まで降りてきた。そこはマイカーでいっぱいである。昔に見た尾瀬を思い出す。この地点では登山も月並みなレジャーの姿と何ら変わりがない。(自然破壊の一躍を買っているわけです。)

  〔奈良田・早川北小学校〕

  スーパー林道入口から奈良田までの大部分はダートで、所々で洞門工事をしている。見上げると夜叉神峠からの道が見える。塊になった雲が相当な速さで山にぶつかってゆき、谷には霧がかかる。大河ドラマのテーマの映像に使えそうな雄大な景色である。奈良田の温泉施設を越えたところで雨が降り始め、しばらく南下したら避けられないほどになった。「早川北小学校」というのを見つけたので駆け込んだ。雨は止みそうにない。家に電話を入れると東海地方では静岡だけが降水確率が高かったという。娘もうちのんも、「愛知県まで来たら雨はあがる」と言い切る。しかし、こちらは弱気であった。

  日清マグヌードルの出番である。時計は12時だったので、飯でも食うことにしようと決め(余裕を持てよ!と自分に言い聞かせ)、お湯を沸かし学校(校庭や中庭)を少し散策し、のんびりと食事をした。実際には、ヌードルをすすり終えても、熊のようにうろうろと屋根の下を歩き回り、ぶつぶつとひとりごとを繰り返し、これからのルート選定にああでもないこうでもないと、答えの出ない長考を続けて迷っていたのである。井川雨畑林道を越える勇気が湧かない。雨の中を無理に越えても面白くないのではないか。越えることを勇気というのか、危険回避も必要だろう。しかし、清水市から静岡市を回ると遠回りになるぞ。私は悩んだ。

  〔井川雨畑林道から大井川へ〕

  いったん、雨畑林道を入口を通過したが100メートルほどでUターンしてきた。本降りとなって1時間以上が過ぎている。地図も出せないほど降っているので分岐点ごとにヤマ勘で右左を選択してゆく。道端で測量作業をしている人に「この道は大井川まで抜けられますか」と聞いたら、「行けるよ」と教えてくれた後、「この雨だから落石が危険だし、やめた方がいいだろう」と忠告をしてくださった。役所の方だったのだろう。しかし、「気を付けて行きますから…」と言って振り切った形となった。

  そのあとが怖い。不安が余計に募った。「落石」の危険性を聞いているだけに、石ころの転がっているのを見つけては崖を見上げた。山が深いのは言うまでもないが、雨のせいで道が荒れている。いや、荒れてはいないが、水溜りができているので走りづらい。水溜りなどどうっていういうことないように思うが、違う。泥水の深さや様子がわからないので迂闊に飛び込めない。何気なしに飛び込んだら、どっぷり深い大穴だったり、ドロドロ沼のような泥溜まりだったり、道が急坂になってくると、泥の川と変化している箇所をのぼらねばならない。足を着地しても泥田の中に足を着くようなものである。そんなところが数ヶ所あった。帰り着くところがすぐそこにあるなら楽しい泥道遊びだが、これまで辿ってきた谷底にある細い道を見下ろしても、頭上に天に突き刺さるようにねじれている道を見上げても、自分がたった今いる崖っぷちを見ても、この山の深さは無限に思えるから、地獄への恐怖感のようなものに怯える。峠の向こうに出て愛知県に行けば本当に雨はやんでいるのだろうか。

  峠を越えると雲が切れた。山伏峠と言う。2千メートルにほぼ近い峠で、北側の雨雲に隠されている山が南アルプスの3千メートルに迫る山々である。ブナの木はわずかばかり紅葉している。紅くなる木々はまだあと半月ほどあとのことになるだろう。悔しい。晴れているときに絶対に来てやるぞ。幸いにも奈良田の中には野営できそうな空き地も多いし、接阻峡にも空き地は多いから、今度は麓で泊まって挑戦しよう。

  〔井川湖~中川根~龍山村~佐久間町~鳳来町〕

  大井川上流から帰路に着く際のお決まりコースである。しかし、夜叉神峠、奈良田の南アルプス街道、井川雨畑林道を走った後に、まだ、国道362(国道473並走区間)を走って、龍山村~鳳来町へと県境の村道を越えねばならない。山道にげっぷが出そうだ。龍山村を過ぎるころに日が暮れ始めた。山中の道路なので一気に真っ暗闇に襲われ、さすがにこの付近では疲労感を持った。車が1台も来ないのは走りやすいといえるが、崖から落ちたら確実に明日のお昼ころまでは行方不明である。家族は「お父さんのことやからお天気が良くなることを知って、その辺でまたもう1泊してるんやな」と思うのだろう。

  出発前の天気予報は連休の3日目に崩れると報じていたのにもかかわらず、私が四苦八苦して山岳道路を急いでいるころに、一転して3日目は晴れであると予報を変えていた。つまり、連休2日目の南アルプス付近だけが雨に見舞われたのである。もしも、これをそのときに知っていたら、雨に打たれて走った雨畑林道の不運は何十倍にもなっただろう。

  〔あとがき〕

  しばらく雨に降られないツーリングばかりをしてましたが、ついにまた雨に降られました。念願の井川雨畑林道〔山伏峠〕でした。思い出深い峠越えとなりましたが、晴れているときにリベンジしたいです。悔しい、ほんと悔しい。

  全走行距離はおよそ800キロ。初日に320キロを走ったので、2日目は480キロ。雨具を着ていた時間は約6時間ほどだった。1日目の昼食はソースカツ丼、夜は肉うどんとおでん、2日目の朝はインスタントスープ、昼はマグヌードルであった。22日早朝の気温は14℃と暖かめの朝だった。

  焚き火を囲んで語り合えた皆さんに感謝します。ありがとう。

Asa

Hiroba

Tento

2002年9月11日 (水曜日)

首輪のついた犬たち その2 競争原理

《首輪のついた犬たち/競争原理》

鍋を食う     論理     人材育成     その疑問     その誤り     見えないもの     問いかけ

   

【競争原理】

鍋を食う     ここにひとつの風景があります。大きなテーブルでお鍋料理をいただきます。子供のように、早い者勝ちで食べるのもひとつでしょう。鍋の中の食材を見渡し、人数に割り振って、「ひとり分はこれだけです」と仕切るのもいいでしょう。醜い取り合いをするのはやめて、自由に食べようと言う声も出ましょう。そこで、もしも、こんな意見があったらどうでしょうか。「自分の食べるさらに食材を載せるのは必ず自分以外の人がする」という良い意味での風習があったとしたら、どうでしょう。もしも、自分だけ先んじてしまおうと思えば、他人を追い出さねばならないわけです。

論理     この論理には、マイナス効果もあります。これを現代社会の企業競争の姿に当てはめてみると、ひとり勝ちのマクドナルドは、他社の宣伝をするか、ハンバーガーというもののイメージ宣伝をするという方法などを取らねばなりません。資本主義という流れの中を、競争論理を推し通してゆくことで企業が進化し発展し自己増殖できるというのが、経済理論ですから、全く進化を否定することになります。

人材育成     相当、以前から言われていますが、人材育成や企業発展には、「個人を大事にし、個性を生かし、それを育て、ご利益をいただき、社会に還元し、再び、個人の成就と成す…」というのが理想のようです。企業理念にそのようなニュアンスをあげたところも多いと思います。しかし、現実には、「個性を潰し、品質を均一化し、新しい視点やアイデアは棚に上げ、とりあえず競争に自分だけ勝って生き残り、他はどうなっても良い…」としか思えないようなことをしている会社や職場が多い。

その疑問    

資本主義の競争原理を大義名分に推し進むのを間違っているとも言い切りませんが、その論理を都合よく解釈して生まれた結果第一主義や成果の数値化、利益こそがすべてで損益分岐計算を無視するものは淘汰されるべきだと考えられています。ある意味では当然です。しかし、こんな理念のものとにあるシステム上で「年棒制」や「個人の査定制度」「双方向査定制度」などが正しく機能するとは到底想像できません。

その誤り     もちろん無理矢理推し進めて、大きな犠牲や歪のもとにいつかは完成されるとは思います。しかし、実利ばかりを追い求める上記のような手法とは違って、「もっとゆとりを」と騒ぎ立てている現代社会であるのなら、実利以外を適正に計れる別の手法が考案されて欲しいものです。実利ばかりだと憂鬱になります。自分の皿には何も盛らないのに多くのものが盛られてくるという状況があったとし、その過程をもっとじっくり観測してやる姿勢が必要ではないでしょか。人にはもっと知恵がある。それは、GDPを増やすために使われるべきものではないのではないか。

見えないもの    

まっとうに生きてゆきたいと思えば、そういう人であればあるほど、バランスシートの文字の色だけでなく、また、数字の大きさだけでないもの、その資料ができあがるまでの数々の人々の声を大事にしたいと思うのではないでしょうか。なんだかそんな気がしたんです。ただ、それだけです。

問いかけ     本当に競争をすることばかりが、社会向上につながるのでしょうか。競争をしない人は社会を悪化させますか?

2002年9月10日 (火曜日)

首輪のついた犬たち・その1

《首輪のついた犬たち・その1》

【序章】     【働き蟻】     【転職】     【首輪って?】     【考える犬】     【愚かさの始まり】     【低レベル】     【失望】

    【閉鎖的】     【悲しい蟻たち】     【裸の王様】


    あれこれと記憶にあるできごとを書き留めてゆこうと思います。

【序章】    

タイトルを「首輪のついた犬たち」と仮設定してみた。何故、首輪なのか。何故犬なのか。やはりそのことから説明を始めねばならない。

首輪とは、その人の行動を拘束したり、(時には形ないものであったり、)一種の呪縛をもってして行動をコントロールするものであるとしましょう。犬とは、働く人たちのことです。つまり、働く人たちはコントロールされている話です。

【働き蟻】    

その前に脱線の話を少し書きます。働き蟻の行動パターンの話です。昔、京都で、ある先生(河合先生か日高先生、森先生だったかもしれない)の講演でお聞きした内容で、「働き蟻を観察します。例えば100匹がせっせと働いている姿を観察しますと、一生懸命働いているのは80匹で、残りの20匹はサボっている。そこでその80匹の蟻ばかりを、同じように100匹集めて行動を観察すると、80匹が一生懸命に働き、20匹がサボる。」というのがありました。その講座の本筋ではなかったのですが、面白い観察結果なので印象に残っています。この話はとても人間の行動や心理を代表しています。「首輪のついた犬たち」を観察する上でも重要な視点となります。〔閑話休題〕

【転職】    

私が初めてその職場を訪ねたのは、1900年の秋のことで、当時、配属先の部長だったTさんが設計部門のフロアーをつれて案内してくださいました。(この職場は)「どんな印象ですか?」と質問を受けたのをしっかりと記憶する。そこで私は「綺麗に整頓されたところですね」と応えた。「そうかなあー」とTさんは呟いておいでだったのも覚えている。新天地で大きな決意の元に一歩を踏み出す私はすべてが美しく見え、誰一人として無駄のない人間ばかりにあふれ、使命感を持って動いているように見えた。仕事にやりがいを持ち、日々が充実している。理想郷とはこういうところなんだろう。そう思いました。同時に自分の実力に少しばかり不安を持っていました。そして、長期にわたって(第二の人生として)私はこの会社に勤めました。2002年の3月に今、流行のリストラで辞職しました。

【首輪って?】    

いつも感じていたことは、会社の形式上の同僚たちは、「働く人」であり、「首輪のついた犬」でありました。コントロールされることが日常化されたなかで、この犬の首輪をとき放したらきっと犬たちはどこかに行ってしまうでしょう。私は働く同僚を見ていつもそう感じました。何をしたらいいのかわからなくなる犬も出るかもしれない。日常に、会社という組織が、様々な形で犬を呪縛し飼い馴らしている姿がありました。親しい人にこのことを打ち明けたことがありました。「飼われた犬でいいじゃないか」と開き直られたことがあります。「そうですね」としか応えられなかった。きっと彼もジレンマにいたと思います。しかし、1 度飼い犬になってしまったら、そんな楽な人生はないのだろうから、彼はその犬の生活を選んだのでした。

【考える犬】    

しかし、犬になることを、何も悪いと私は思いません。成れる人はそうすればいいし、その判断は立派です。今、どうしても考察しておきたいのは、このような行動をとらせて犬を飼い馴らす会社の「社風」を、一般論として分析できないものかという、壮大な課題を抱いたのです。ひとつの事業場がどんなことをしているかを責めるつもりもない。私は負けて出てきた犬ですから。でも、行動を科学し、考える犬に私はなりたい。

【愚かさの始まり】    

仕事場のフロアーの掃除をする例を考えてみます。汚くても誰も掃除をしようとしません。何故ですか…と疑問に思いました。掃除当番が決められていないから、自分が掃除当番でないから、だから自分のデスクや実験室が汚くても掃除を始めないのです。掃除は仕事でない、と思っていたのかもしれません。残業をするようになって驚きました。上司が早く帰っていなくなると、その部下たちも知らず知らずのうちに帰ってしまっていないのです。普段なら深夜近くまで残って、あれこれと頭をひねっている人たちが、あの仕事にかける情熱をどこにやってしまったのか、と思いました。見られていなければ仕事をしない。または逃げ出す。そういうのは、ここの人には半ば常識だったんです。

【低レベル】    

そんな状況では管理をする人が必要になります。掃除当番を決め、作業分担を割り当てる表を作り、仕事の進み具合をチェックする様々な手法を考え出します。クリティカルパスメソッドに基づいたきちんとした管理もあれば、小学生を咎めるような幼稚にしか見えない管理もあります。私はあまりの驚きに「校則で縛られて、自分らしさをまったく失ってしまった三流の高校のようだ」と言ってしまった。髪が長いと散髪に行けと言い、髭を生やすと禁止だという。服装のことも何かとうるさい。管理者だったM君は残業が終わって帰る前にデスクの電話で自宅に電話を入れていた。それを見て知っていた他のある人が、あるとき同じように自宅に電話をしたら、M君は厳しく私用電話を咎めたという事実も目撃しました。管理者は聖職で自分の悪行は神の成せるワザだとうことをこのひとつの光景が物語ります。

【失望】

    職場の中では、こういう低レベルな管理が蔓延していました。当然、業務の管理にしても全く同じような論理で行われ、ひとりの人間がその人の脳みそを使って成した仕事を、いとも簡単に否定したり、その過程さえも無視したり破り捨ててしまうようなことが行われています。ひとつのタスクを成就する組織(ボックス) としては、素晴らしいものであっても、そのブラックボックスの中は、奴隷船のようで、個性もなく、生きがいもヤリ甲斐もなく、甘い餌に群がる犬のような (蟻のような)行動パターンでした。それは「ロボットのように絶望的に働いている」状態というよりは、「首輪のついた犬」の集団でした。

【閉鎖的】    

しかし、生え抜きで身を捧げている人たちは、高校や大学を出て初めて出会ったこの社会が世界の常識だと思い込んでいますから、私の言っていることさえ理解ができないようでした。ある程度心を許した人であれば、「仕方ない、ここで生きるしかないのだから」と言って本意か虚心かは定かでないけど、私の意見に聞く耳を持ってくれました。そういう人は、しかしながら、こういう職場にはなじめないのでしょう。配属を転々としてどこかに転勤して行ってしまった。

【悲しい蟻たち】    

働き蟻のような私の同僚だった人たち。実にその実態は、管理されることで、自らの働く楽しみや、自主的に何かを成就する歓びを全く喪失してしまっていました。働く姿も立派でしたが、先に書いたように「サボる蟻」のような人も多くいました。自分たちを支えてくれるのは大企業です。健康保険、福祉、就業条件など様々な面で、高水準を保障され、満足のいく船です。社会的ステータスも最高です。そういう後光に支えられていました。生きる力をしたたかに備えながら、上手に働くふりをする。こういう人たちを肥大化した企業は育ててきた。だから、リストラという大きな構造改革をしなくてはならなくなって、しかもそのやり方がものすごく下手なのです。

【裸の王様】    

おかしくなるばかりでした。しかし、私にはそれが「裸の王様」の集団のように見えて、自分を妥協させるのに罪悪感さえおぼえるようになったのです。相思相愛の全く逆で私は2001年の秋に退職することを、言いました。会社の筋書きどおりだったのが悔しいけど、後悔はありませんでした

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