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2002年1月30日 (水曜日)

つばき 2月初旬号

登録日時  :02/01/30 22:35


椿と書く。私はあの色が好きだ。決して鮮やかでのないあの色。

   椿落て昨日の雨をこぼしけり

   椿のおちる水のながれる

先の句が蕪村、あとの句が三頭火。

   落ざまに水こぼしけり花椿    芭蕉

と、詠んだのを蕪村は意識しているし、山頭火もそれらのことを知っていたのだろう。椿は落ちたときに美しいのか。

こうして三つの句を並べてみると、蕪村の句の心がじわっと伝わってきますね。心に染みるというか、我々のふとした日常の心の一面を上手にとらえているよう

に思います。

山頭火の句は、芸術的。美的というか。

話は変わりますが、先日、鈴鹿峠を越えるときに、途中にある鰻屋に「初音」という店があって、その前で娘に「初音とはどういうことか分かるか?」と質問をしたら、しばらく考えて当てずっぽうで「鶯がなくこと?」というので、なかなか良いセンスを持っているなと感心していたのです。生っ粋の田舎もんですから、自然の訴えには敏感なのかもしれませんです。

近頃、椿も梅も鶯も芹もなずなもタラの芽も、見かけませんね。いや、タラの芽は先日スーパーで見かけました。悲しい。

そういえば、氷が張るのを見かけたことがないなあ。朝寝坊になったのも理由かもしれないけど、水たまりがない。霜柱も見かけない。踏んで遊んだことなど今の子供たちはないらしい。

私たちの親の世代が、戦後の発展のなか、多くの過去の苦しみとともに数々の不自由だった文化を失ってきた。

同じように高度経済成長で私たちの世代は、便利さや合理性などと引き換えに、些細な不自由を失った。いや、科学技術の立場から言えば、改革・開拓してきたと言う。

今の時代なら椿の花は落ちれば道路のゴミになり、近所の誰が掃除をするのか…の議論の的というところか。

当然、椿の蜜を吸ってその味などまったく知らないのでしょうね。子供の頃に、近所の椿の垣根で次から次へと花をもぎ取って吸ったような記憶があるなあ。

え?どんな味かって?長い人生を経てきた人なら蜜の味くらい知ってますよね。子供は子供なりに、大人は大人なりに…酔わされる不思議な味。

ああ春が待ち遠しいな。

2002年1月29日 (火曜日)

転 <2002年1月下旬号>

転 02/01/29
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▼手を着かずに後ろ向きに宙返りするのをBACK転と呼ぶが果たしてこれで字は合っているだろうか。ジャニーズ系の若いタレントさんなら難なくやってのけるが、おじさんには相当に難しい。前に回るのを空中回転と呼んで、これなら若い頃だったら出来たけど、運動音痴の私は後転は出来なかった。
▼森末慎二さんがあるTV番組で若い子を指導していたのを見たことがある。とても後ろにひょい!と回れそうにはない子だったが、結局は見事に技を身につける。森末さんが言う。
▼「怖がって眼をつむったら、手を着くところが見えない。しっかり眼を開けて、しっかりと地面を見なさい。」
▼なるほど。怖いので「えいっ!」と後ろに振り返った瞬間には眼を閉じている。手をついて回る前に眼を閉じてしまわない訓練をなさっている。恐怖感を取り除き目を開けたままで後ろに転がってしっかりと「地面を見ろ!」と言うのだ。
▼地面はすぐそこにあり、決して移動しない。つまりこれほど安定したものに手を着くことなど、考えてみたら、なんて簡単なことなんだろう。
▼眼からうろこのような話は他にもあって、自転車に2時間で乗れるように子供を訓練する方法というのを知人に教わったことがある。地面にべったりが足を着くほどサドルを下げて、ペダルを取り去って、両足で自由に歩き、後に足で蹴って走り回らせるだけだと言う。バランスを掴んだ子はペダルが着いた自転車も難なく、昔からのように乗り始めると言うから不思議だ。しかしこれも考えれば当然の理屈だ。
▼起承転結の「転」を迎えた。さあ、どこを見つめるのか。地に足をしっかり着けて、眼を大きく開けねばならない。

【銀マド:塵埃秘帖】

2002年1月23日 (水曜日)

山頭火  <2002年1月下旬号>

山頭火   02/01/23
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「鉢の子」を久しぶりに手にした。

))笠も漏りだしたか
これは、S5年の暮の句です。

))うしろすがたのしぐれてゆくか
S6年を送る句。

))鉄鉢の中へも霰

そういえば京都に住んでいた頃、あの修行僧が冬の寒い朝に玄関の前で「ウォー」と呼ぶんですよ。知らない人は想像できないでしょうが、山頭火もそういう修行をしたのでしょう。

雪がたくさん積もる地方と違って、京都にしても私の住んでいる地方にしても、暖房が十分にゆき届いていない時代がありました。寒くて生きてゆけない地域は必ず暖炉などが生活の知恵であみ出されますのでしょうけど、辛抱のレベルだった。

だから冬は寒い。ここ二、三日、寒気が来ているようで暖房のない私の部屋は寒いです。しぐれている日はカーテンを開けていてもくらいですね。

))笠へぽつとり椿だった

我が家には椿はない。けど山茶花が咲いています。庭に花びらを落としていまして、その紅色は鮮やかです。雨上がりに箒でかき集める時に、何だか寂寥感が漂います。

この落ち葉を集めて焚き火をして遊べたら少しは楽しいのに…。

火遊びとわからず燃える落ち葉かな ねこ


【銀マド:塵埃秘帖】

2002年1月15日 (火曜日)

成人式のころ <2002年1月中旬号>

成人式のころ 

銀マドも2002年に突入です。今年もよろしく。

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成人式の話題をニュースでやってましたので、ふと思ったことを書きました。
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今年も成人式の季節がやってきた。このパティオには成人する人はいないでしょ?結婚する人はいますね。それもこれもひとつの旅立ちといえます。旅立つ時にはきちんと襟を正して心新たに一歩を踏み出すと思います。その一歩が闇の中の一歩であれ晴れ舞台の一歩であれ、心は感動に満ちていることだろうと思うのです。

ところがどうも昨今の成人さんはそうではないらしい。わたし流にひとこと言えば、満たされていて何が有難いのかを見失っているので感動すらできない状態なんです。感動なんてのは与えられたり強制されたりすることは不可能で、自分で出会うものでしょうから、ただただ可哀想にとしか言いようがない。

成人式のころ、私には進級試験がありました。母校の進級制度は割と厳しく、同時入学者の約三分の一から半分ほどの面々が卒業では 顔を合わせられません。その最初の関門が成人式のころにありました。仲の良かった奴らのほとんどが進級しましたが、成人式にも行けずに家で机に向かっていた私は落第でした。「のほほん」と私は生きているようですけど、結構、辛かったなあ。日本育英会の奨学金は留め置きでしたし…。

まあ、1学年下級の人との付き合いをし始めるのは、同期連中が卒業して居なくなってからのことでした。でも、同じ特別研究(いわゆる卒研)のメンバーには私より年齢が大きい人が幾人か居ましたし、落第で落ち込んだ心は卒業のころには消えていましたけどね。それでもやっぱし、成人式に出られなかったのはひとつの痛切な思い出です。

誰にでもきっと、ひとつの節目を二十歳前後で越える時があると思います。それは人それぞれで、年配の皆さんの大部分の方々に心当たりがあるのではないでしょうか。晴れ着を着ることや式典に参加するのが大事ではなく、そういう節目を体の中にきちんと刻んで生きてきているか、ということが大事でしょう。

何不自由なく大きくなってしまったら「年輪」も「節」もないただの木になってしまう。

【銀マド:塵埃秘帖】

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